日  誌
2006年8月K

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 「街」夏休みのお知らせ
14日(月)〜18日(金)まで
現地調査・援農に行こう−現地闘争本部が呼びかけ
三里塚 現地調査&交流会

8月17日(木)
7名は午前11時すぎに到着。
市東さんのトウモロコシをいただいた後…天神峰、市東孝雄さん方 監視台と大看板
 ◆暫定滑走路の欠陥性・「へ」の字誘導路を確認。
 ◆市東孝雄さん方へのジェットブラスト噴射、騒音、低周波音などを確認。
★監視台からは、暫定滑走路の欠陥性が一望できる。目の前に見える誘導路で2機の航空機が接触事故、空港公団は1日隠して発表(02年12月)、エアージャバン機がオーバーラン事故(03年1月)、誘導路上で2機の航空機同士が鉢合わせ、50分にわたって滑走路が閉鎖(04年6月)など、事故多発地点。
★成田市空対部に対しジェットブラスト防護柵の設置要求を行う(02年4月暫定滑走路開港後)。成田市・空港公団は、卑劣にも、対策は十分とペテンを弄し拒否(監視台から下をのぞくと滑走路表面と市東さんの畑の段差2メートルが確認できるが、空港公団はこの段差を無視)。この監視台は、02年11月にジェットブラストの直接噴射の調査のため設置。北側離陸時(北風の時)にもろに受ける。暫定滑走路の離発着回数は現在1日平均130回。
★03年11月ジェットブラスト防護林植林闘争として、50本を植林。現在成長中。
★02年4月、暫定滑走路開港前日に長さ23mの大看板設置。


反対側に回るとこう見えます
現闘本部 

★国交省は、毎年9月18日に使用禁止・封鎖処分を更新。封鎖の理由は、「逮捕歴のある人間が出入りしたから、暴力的破壊活動に使用された」ので「建物をお縄にかけた]という漫画的な事態。

◆1990年に成田治安法による封鎖処分を受け、1年毎に更新されている。現在、空港会社が、撤去を要求して裁判中。
  市東孝雄さん耕作地
市東さんの畑 早速、警察車両が来た
◆誘導路を「へ」の字に曲げている。
市東さん耕作地。03年12月、公団が地主から一方的に買収、公団から小作解除の要求あったが、断固拒否。そもそも市東さんは、3代にわたって、90年も耕作を継続しているのだ。畑の真ん中にあるのは、有機農業用堆肥場(03年6月完成)。06.7.10NAAは千葉県知事に耕作権解除申請。

一坪共有地はフェンス(ドアあり)の向こう(空港内)にあって見えないが、反対同盟は、定期的に一坪共有他の現地立ち入り調査を行っている。02年12月より、6ヵ所の一坪共有地の強奪を狙う訴訟が行われている。6月28日反動判決(控訴中)。
東峰の森と一坪共有地(敷地はみ出し誘導路新設計画)
旧公団は、この森は未来永劫のコスト約束している。この森は部落ができた50年前から山菜やキノコ採り、たきぎなどを取るなど、入り会い的に的に使われ、防風・砂防の役割を果たし、空港ができてからは防音の役割を果たしてきた。森林伐採は明らかに、生活権・生存権を著しく侵害する。
集会場として使う、萩原さんの畑の東側にある
 成田クリーンバーク
   ◆ゴミ処理場、北延伸計画では、進入灯用地として必要。移転困難。
 
反対同盟との交流会
鈴木幸司さん、北原鉱治さん、市東孝雄さん、萩原進さんに参加していただき昼食&交流会。ありがとうございます&ごちそうさまでした。
 東峰神社
両側は白いフェンスに囲まれている。彼らには「神も仏もないようだ」
◆滑走路南端から60mの位置に存在。2001年6月、公団が神社の立ち木を不法伐採して暫定滑走路供用開始。
東峰部落が千葉地裁に提訴、2003年、全面勝訴。
★2005年1月、神社の鳥居改修(木製を石製に)。勝訴後に植えた白カシが伸びている。白カシよ、飛行機が離着陸できないほど高く伸びろ!
  東峰墓地
本来の2500m滑走路の誘導路部分に位置し、誘導路を阻止している。墓地の面積は、1,487u。
小泉よねさん、萩原作治さんら東峰部落5軒6人がこの墓地に眠っている。
 死してなお、空港を阻む!
小泉(大木)よねさんのお墓
ずっと私服警官、ガードマンが付いてくる
騒音直下 菱田
菱田現地第一砦(改称、菱田の郷)
◆成田用水決戦の拠点。鈴木幸司さん一家が闘っている。現在は2軒ほどしか住んでいなく、
ほとんどが集団移転してしまった。 
岩山記念館
◆77年鉄塔決戦
◆A滑走路路南端。750m地点でのジヤンボ機の爆音を体験。
125デシベル。ジャンボジェットの離陸時の音。
125デシベル程度のものを少し長い時間(といってもせいぜい1分位)聴く羽目になり、後で軽い目まいと、耳なりを起したことがあった。若栗 尚(航空公害防止協会・航空公害研究センター・騒音振動部長)
三里塚十字路(戦跡)
ここに来るのは21年ぶりだなぁ
三里塚第一公園・・・DE、突然、ライブ
案内してくれた現闘の人に、「命の海」「辺野古の海から」で感謝。
「♪ 辺野古の海に基地は作らせない。三里塚の大地に空港はいらない…」

近くの民宿で夕食
いろんな料理がでたけど、

交流会で残った心のこもった

料理が一番、美味しかった。
ここは三里塚現地から数十キロ離れた
場所だが、深夜まで、朝は6時過ぎには
飛行機の轟音でうるさかった。三里塚農
民が日々、いかに殺人的な騒音にさらさ
れているのか!  空港絶対廃港を思う。

8月18日(金)
北原さんにお話をうかがいました。
若き日の北原さんの写真が飾られていました
短い時間でしたが、北原精神・反対同盟魂を教えられました

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