日  誌
2006年10月D
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10月11日(水)
昨日の夕食の続き。サンマのパスタ
カボチャ・イタリアーノ 若シェフの誕生日なのでケーキ
11日の昼食はオムライス 昨日の残り コーンスープ
夕食は焼きサンマ。毎日、サンマ
 1尾100円。3尾250円なので、5尾
でも・6尾でも500円なので、1尾はサン
マのたたきに。
クーブ・イリチー 沖縄・島ラッキョウのキムチ風味。
シェフの差し入れ
← 水ナス、デザートは差入れの洋梨


トン汁・ナメコ汁 →
「街」の食事は、昼食300円、夕食400円、予約すれば誰でも食べられます
11日の国会前、座り込み
今日の座り込み参加者は6人、カンパは1.250円でした。
お隣では、教育基本法改悪反対の方達が座り込みをしています。
今日は辺野古座り込み906日目、国会前は801日目です
ちょっと曇り空の中、座り込み 斉藤さんの背中の刺繍
→缶バッジお買い上げ
→のぼり旗に足を止めて
話し込んでいく人もいます
弾頭 世界に3万発

アメリカも8月30日に核実験実施

米が臨界前核実験=半年ぶり、23回目

 【ワシントン30日時事】米エネルギー省は30日、ネバダ州の実験場で、核爆発を伴わない臨界前核実験を実施したと発表した。同省によると、実験は成功した。米国の臨界前核実験は今年2月以来半年ぶりで、1997年以降23回目。 

(時事通信) - 8月31日13時1分

臨界前核実験で米に抗議=「核兵器廃絶の願い踏みにじる」−広島、長崎両市長

 米国がネバダ州の地下核実験場で23回目の臨界前核実験を実施したことを受け、秋葉忠利広島市長は31日、「被爆者をはじめ核兵器廃絶を求める世界の人々の願いを踏みにじるもので、激しい憤りを覚える」などとする英文の抗議文を、ブッシュ大統領とシーファー駐日米大使に電子郵便などで送った。伊藤一長長崎市長も「世界の多くの人々の核兵器廃絶の願いを踏みにじる暴挙」などとする抗議文を送付した。 

(時事通信) - 8月31日14時1分

全障連30周年記念大会プレ企画   前進友の会
電気ショック療法を切り口に
精神医療の<今>を語ろう
生命を奪う、記憶を奪う治療法はなくなるべきだ!
障害者自立支援法によって精神障害者はますます生きにくくなっています。精神医療には多くの問題点がありますが、電気ショック療法とは文字通り脳に電流を流すという精神科の「治療」行為です。
そんなことは今日日やっていないだろうと思われるかもしれません。
しかし、現実に電気ショック療法は、行われている、それどころか増えていて日々犠牲者を出しているのです。

 電気ショックは今の精神医療の象徴でもあります。保安処分施設=心神喪失者等医療観察法施設や鑑定留置施設ではどうか、自分がかかっている場所は大丈夫か、など疑問はつきません。
 
懲罰として行われた電気ショック
 麻酔をかけずにやったかつての電気ショック(生でやる、といわれた)激しい痛みを伴うもので、
精神病院の中で反抗的な患者に見せしめとしても行われました。
さらに電気ショックで痙攣発作がでて、
ベッドの上でのたうちまわる患者を他の患者に押さえさせて
「電気ショックはこんなに苦しいんだぞ」ということを体感させ、
押さえている方の患者の反抗の芽を摘むことまでおこなわれたのです。
 
電気ショック療法は続いている
60年代末からの精神医療改革運動の中でこれは問題になったかと思われました。
しかし、悪名高い病院達はもちろん、
「改革的」といわれた精神病院も電気ショック療法をやっていました。
そして、「電気ショック療法」では聞こえが悪いので、
「電気痙攣療法=ECT」に言い換えが行われました。
また、「生」ではさすがにまずいので麻酔をかけ「無痙攣」で行うことが望ましいとされています。
 
生命と記憶を奪う電気ショック療法
 しかし、あいかわらず電気ショック療法が心不全などの形で(電気をかけるのだから当たり前!)患者の命を奪います。
さらに記憶がなくなります。人間にとって一番大事な記憶を奪うのです。こんな「治療法」があっていいでしょうか。
「治るんだ」という医療従事者に「治れ」ばいいのか、と問いかける必要があります。
精神病者をはじめ関心をもたれた多くの人の参加を呼びかけます。
●日程 2006年10月28日(土) 午後1時30分〜4時

●会場 大阪人権センター(旧部落解放センター) 5階第4研修室
556-0028 大阪市浪速区久保吉1-6-12 06-6561-9121(代表)
JR大阪環状線・芦原橋駅下車 徒歩5分(ヒューマインドの西側)

●パネルディスカッション
島田 能孝 精神科医(光愛病院)
小山 通子 電気ショック研究会糾弾を闘う(前進友の会)
棚谷 直巳 電気ショック療法被術の親族として(ほっとハウス)
特別アピール
精神病者差別裁判・宇治小事件を支援して
 多芸政之(京都精神障害者の人権を守る会)
知的障害者の冤罪を救援して
 青山正さんを救援する関西市民の会から
企画担当・司会  森 泰一郎
(全障連関東ブロック、問合せアドレス
=moritai@mh.point.ne.jp

●プレ企画の参加費 無料
和室の休憩室・喫煙所有、お茶・ジュース類用意有り。
手話の必要な方は1週間前までにお申し出下さい。


10月11日(水)
「ジユゴンの家」日誌より
写真速報

警察・機動隊がパトリオット配備阻止のために座り込みをしていた労働者・市民を排除!!
政府の理不尽な弾圧を許すな!!
PAC3 混乱の中 嘉手納基地へ QAB 2006年10月11日 (水曜日 昼)
News Photo

沖縄に駐留するアメリカ軍はきょう午前、最新の迎撃ミサイル・パトリオットを嘉手納基地に搬入しました。その際、座り込みを続ける平和団体と衝突し現場は大混乱となりました。

岸本記者「パトリオットミサイルを載せたトレーラーが桟橋のゲートから嘉手納基地へと向かいます。県警の機動隊員が反対派の住民を包囲しています」

迎撃用の地対空ミサイルパトリオットはおととい、うるま市にあるアメリカ軍の桟橋に到着。平和団体らは「ミサイル配備で沖縄の基地は攻撃の対象となり逆に危険になる」と抗議の座り込みを続けてきました。

けさは沖縄県警の機動隊およそ100人が市民らを強制的に排除。ミサイルは嘉手納基地へと搬入されました。日米両政府はこのパトリオットミサイルを嘉手納基地に配備し北朝鮮などににらみをきかせたい考えで、12月にはミサイルの一部運用を開始する予定です。



ストリーミングビデオ-モデム-ISDN40Kbpsストリーミングビデオ-ブロードバンド256Kbps

天願桟橋に機動隊導入!!
天願桟橋から電話での報告を受けました。
現地より離れた場所より情報を発信しています。世界中に転送してください。
 
天願桟橋ゲート前での24時間座り込みは4日目に入っています。ゲート前では労組・市民団体が連携して座り込み、阻止行動を展開、3日間に渡ってパトリオット本体の配備を阻止してきました。
 
今日の午前7時
機動隊が座り込みをしている人達に襲い掛かり、ごぼうぬき、排除。
現在、ドンドンと中にトレーラーと業者が入っています。
歩道で抗議行動を続けている。
逮捕者は現在ゼロ。

〜午前7時30分

とりあえずパトリオット本体をおろす作業などで1時間ほどかかる。
一休み状態に入っている。
やられっぱなしになっている。
7:54 船のうえのクレーンが動いてます
六時半頃強制排除されました!

逮捕者、けが人は今のところいません。

トレーラーが16台中に入りました。

10月10日(火)
「ジユゴンの家」日誌より

10月10日、パトリオット配備阻止!!3日目!!
今日は晴天!!24時間の阻止行動が続けられています!! ゲート前を完全に封鎖。人間のバリケードです。 祐治さんとえつみさん。手前は疲れて眠る夏芽さん。3日間で家には一回、しかも10分ぐらいしか帰っていないのです。本当にお疲れ様です。
←→命を守る会・読谷の会の旗や労組旗、県内のありとあらゆる団体と旗が掲げられています。
MP車の向こうに見えるのが貨物船。いまだに船からも積荷を降ろさせていません! 突然の妨害に備えて、ゲートのすぐそばで座り込みをする人々。本気です! 楽しく、ゆんたくしながらお互いの考え方などを話し合う。見慣れた辺野古テント村の光景と一緒です。
街頭でも配備阻止の旗を掲げて通りすがる車に訴える。 パトリオット配備阻止!と高らかに掲げられた横断幕。 全体で見るとこんな感じです。
平和市民連絡会・市民共同行動の旗。その後ろはフェンスと美しく広がる沖縄の海。 向かいは米軍用の駐車場。
警察がたむろしています。
命を守る会から代表して金城祐治さん。「皆さんの行動は正しい!私達の闘いと同じように子や孫に戦争を押し付けないための行動だからです!共に頑張りましょう!!」
みんなうなずきながら聞いています。 沖縄県民会議代表の山内徳信さん。 「私達はどんな権力にも屈しない!この闘いが正しいということを姿勢で証明していきましょう!!」
うるま市職労の人。「地元の輪も広がってきている。支援者は日ごとに膨大に増えている!一緒に地元も最後まで闘います。」 その後、みんなで「一坪たりとも渡すまい」を熱唱。 当山さん(平和市民連絡会・事務局長)の歌声が響く。辺野古テント村の初期を思い出します。
緊迫したテント村を和ませるために当山さんが生まれて初めて踊ってくれたのを思い出します。
そこに防衛施設局がやってきました。 山城ひろじ平和センター事務局長が相手をします。 「私達はあの船がアメリカに帰るまで一歩も引くつもりはない。あなた方はここを提供地だと言うが、我々沖縄人はここを提供した覚えは一切ない。我々の土地で我々が闘っていて排除される覚えはどこにもない。私達は施設局との対話の場を設定してくれれば話しをすると言っているのです。」
 山内徳信さんも沖縄戦から戦後を語り、ぜひに施設局庁がパトリオット配備をやめる決断をするように要請しました。
 施設局の課長も板ばさみの中で大変だと思うが、と配慮も見せていました。
 施設局の課長は「皆さんが言っていることは施設局長に伝えている」ということに終始しました。
去っていく、警察と施設局員を追いかけるマスコミ。 対岸の駐車場へと帰っていく。 今の話し合いの報告を山城さん。
「私達は一歩も引けない!そのことを常に確認しましょう!」 労組の物質力には圧倒されます。
テント、食べ物、飲み物、ここで闘うに必要なものが全て揃っています。
テントを建てます。
素早く!辺野古のテント村で慣れているだけあって15分とたたない内に出来上がっていきます。 せーのっ!! 出来上がり!!パトリオット配備阻止のテント村が出来ました!!
天ぷらが配られていたのでもらってきました!かぶりつく晋君。 テント村が出来て心配そうに見ている警察・施設局。 フェンス越しに山城さんがテント設置ことを説明。
←今日は軍事輸送機・警戒機が多く飛んでいます。北朝鮮への警戒のために多くの軍機が飛び交っています。
その度に沖縄はその爆音に悩まされてきました。
監視するべきなのはブッシュと安部でしょうが!!

→辺野古から来た祐治さん、お疲れです。足が痛くとも、腰が痛くとも現場に駆けつけるその姿勢に頭がさがりっぱなしです。
南部の方がインド式マッサージをしてくれています。
米兵が来たのでなんだろうか?とみていると・・・。 ゲートを開けて向こうの米兵と話をしている。 あー。お腹空いていたのね。それでもバーガーなのね。
さきほどの施設局との話しの報告。 発言が多数ありました。 瀬嵩から師匠が来た!この後、コンサートがありました。
ゲートを封鎖しています。回りには沖縄の魔よけをくっつけています。 配備強行絶対に許さない!! たくさんの人が来訪します。支援の輪がドンドンと広がっているのを肌で感じます!!


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