2006年10月B
10月Aへ 10月Cへ

10・8 三里塚全国総決起集会 写真速報
1350人の参加で大成功!

10/8三里塚全国総決起集会
 速報ビデオ
 

動労千葉を支援する会・提供
 本集会の前にライブをやりました。市東孝雄さんと記念写真
西村あや子さん・相模原市議 北島邦彦さん・杉並
国賀祥司さん・泉佐野市議
富山保信さん 動労千葉

鈴木幸司さん 北原鉱治事務局長
田中・動労千葉委員長
頭上をかすめる着陸機。飛行高度はわずか20メートルほど
敷地内の市東孝雄さん・不屈の決意表明 萩原進さんから基調報告
闘う弁護団・葉山岳夫さんたち
永井満さん(淡路町空港反対同盟代表・牧師)
国賀祥司さん 天野美恵さん・北富士忍草母の会 全国連
市東さん宅前にジャガイモの差し入れ
現闘本部
この明るさは何んだ! 
闘えば勝てることに不動の確信を持っているからなのだ!
北原鉱治さん
満月でした
「街」に戻って、ハネやん速攻で夕食づくり
餡かけ・サンマー麺 酢豚 小エビのチャーハン

 ↓ 以下は、三里塚空港反対同盟がホームページから転載

鈴木加代子さんのブログはhttp://blog.goo.ne.jp/suzuki-kayoko/

●「北延伸」の国家犯罪を許さないぞ!  反対同盟全国集会 〔News〕

――市東さんの農地を守る労農連帯を訴え【10月8日・速報】

10.8全国総決起集会

■10月8日、反対同盟主催の全国集会を東峰地区・萩原進さんの畑で開催しました。台風一過で晴れ渡った会場には1350人の労働者、農民、学生が集まり、暫定滑走路「北延伸」にともなう国家犯罪の数々を告発、暫定滑走路に沿った約3キロのデモコースを長蛇の隊列が包囲しました。
■集会の基調報告を行った萩原進事務局次長は、焦点となっている天神峰地区・市東孝雄さんの耕作権はく奪攻撃について「新農政という形で始まった百姓潰し、戦後の憲法と民主主義を覆すための“三里塚潰し”だ」と厳しく弾劾し、「全国の農民と労働者の総力で絶対に阻止しよう」と訴えました。
■市東孝雄さんは「耕作地を取り上げようとする空港会社や県を許せません。違法でも何でもカネを払えばいいと公言したのです。農民を守るための法律が農民を守らない。それなら自分の力で守るしかない。幅広い支援を」と訴えました。顧問弁護団は、農水省への不服審査請求および堂本知事の違法な決定の取り消しを求める行政訴訟を全力で闘う方針を明らかにしました。

北原鉱治事務局長「三里塚で勝つことです。もう一度、三里塚を
すべての労働者、農民、学生の闘いにしよう!」(10月8日)

市東孝雄さん「農民を守る法律が農民を守らないなら、自分の力で闘います。ご支援をお願いします」
反対同盟を先頭に林立する赤旗が風になびく長蛇のデモ隊が出発。青空の下で
気持ちの良いデモでした
暫定滑走路の“脇腹”にあたる「への字誘導路」北側付近をデモ。北延伸攻撃の
焦点の一つ「成田クリーンパーク(北延伸用地)」まで行進しました
「への字」誘導路にある市東孝雄さんの畑です。手前は強風に耐えて育つ
有機・無農薬の美味しいキャベツ畑。向こうにデモ隊が見えます
オープニング・セレモニーで初登場「ヨッシーとジュゴンの家」の演奏。
「侵略戦争やるような国は滅んでしまえ!」というビートの効いた曲
でした。ヨッシーさん、バンドの皆さん、ご協力に感謝します

 ↓ 以下は、週刊「三里塚」のホームページから転載

知事の“隠密決定”弾劾する
市東さん耕作権 事実調査もなく解除許可
88年の違法売買、証拠も完全 国家犯罪暴き出せ
法も無視 末期的なNAA・国交省

(写真 地道な努力が実って有機農業に精を出す市東孝雄さん。無法決定への怒りは深い)


●前代未聞の隠密決定
 暫定滑走路の「へ」の字誘導路に食い込む市東孝雄さんの耕作地を、NAA(成田空港会社)が農地法を使って収用しようとしている問題で、申請を受けた千葉県・堂本暁子知事は9月21日、数多くの違法な事実を調査もせず、NAAの解除申請を許可する決定を下した。市東さんと弁護団が調査を申請した膨大な違法事実について、知事はすべてを黙殺した。
 今回の決定は、耕作者の権利を農地法で奪う前代未聞の事件にもかかわらず記者発表もない”隠密決定”だった。無法を闇から闇に葬り去る姿勢だ。三里塚闘争は、国家による農地収用との闘いという原点に引き戻された。「法が守ってくれないなら自分で守る」との意志を表明している市東さんを全国の労農学の力で支えよう! 三里塚で起こっている国家犯罪を白日のもとに暴こう!
(写真 農地強奪に加担した堂本知事)
     *
●事実調査もなし!
 90年の耕作実績を受け継ぐ耕作者本人(市東さん)が、今後も耕作を続ける明確な意志を表明している純然たる農地を、農地法を使って収用するなどということはそもそも不可能だ。前例もない。農地法の根幹を完全に破壊する暴挙である。

 しかし堂本知事はこの決定を記者発表もせず、隠密裏に通知する手はずをとった。なぜか?
 空港会社は1988年に耕作地の底地権を元の地主から買収した件で、明らかな違法に手を染めている。市東さんと弁護団はこの事実を調査に基づいて指摘、県知事に再調査を要請した。申請書の錯誤も指摘した。
 それでも県は動かなかった。確信犯なのだ。知事の付託を受けた県農地課は、9月14日の農業会議での説明で「空港会社は本人(市東さん)と何度も面談し協力を要請した(!!)」という虚偽まで振りまいた。「ウソをつけ! 自分の言葉に責任を持つなら俺の顔を見て発言してみろ!」と怒りに満ちた追及を行った市東孝雄さんの顔を見ることもできず、下を向いて「原稿」を読み上げていた。19人もの農業会議常任会議のメンバーは誰一人として、市東さんの追及に「反論」もできず、抗議の嵐の中、会議終了から30分も全員が沈黙し立ち上がることもできなかった。

 そして21日の知事の隠密決定である。彼らは行政権力の構成者でありながら、自分たちの違法行為を自覚している。農地法違反だろうが何だろうが、後の裁判で負けようが、市東さんと反対農家をつぶせればいいという考えだ。本来は、開発から農民と農地を守る立場の県農地課は、ここではまるで空港会社の代理人だった。


●違法売買の証拠
 空港会社と県は、記者たちに虚偽の事実を流してもいる。「空港会社は2003年に地主から土地を買収し…」(9・23東京)というのはウソである。地主も口裏を合わせているが、ウソだという証拠がある。1988年7月9日付で地主・藤崎政吉と空港公団との間で、市東さんの耕作地の底地権を売り渡すことについての佐倉簡易裁判所の「和解調書」が存在する。調書には同年5月13日に売買代金約4472万円を全額支払ったことも明記されている。
 そして問題は、これらの「売買」がすべて耕作権者たる父の市東東市さん本人に完全に秘匿して行われた事実だ。これは権利売買の条件として耕作者の同意が必須であることを定めた農地法3条に明白に違反する。言い逃れのできない事実で、公団による当該底地権の買収自体が無効である。
 この事実に基づくならば、空港会社が「権利」を取得して18年が経過しており、解約請求権が10年で時効消滅する民法上の規定も生きてくる。
 それゆえ空港会社は売買の年月日をごまかし、記者の取材に対しても「03年に売買した」とウソを流しているのだ。調べれば分かることだが、空港会社の言葉をそのまま垂れ流す新聞が悲しいかな存在する。
(写真 ガードマンに守られ無意味な延伸工事は始まった)
     *
●国家犯罪を白日の下に
 あからさまな犯罪と違法行為を闇から闇に葬って市東孝雄さんの農地を強奪する。これが空港会社と県の考えだ。社会問題化する以前に脅迫と買収で農家をつぶす戦略だ。このような暴挙は、事実が広く世に出るだけで粉砕されるだろう。
 あらゆる分野で空港会社・県による農地強奪の暴挙を暴き、広範な反撃の陣形を作りだそう!

便数増えず、ジャンボも退役 無意味な「北延伸」をなぜ強行するか?

 暫定滑走路の北延伸工事が9月15日に着工されたが、「造っても便数はほとんど増えない」など、その中身は想像以上に無意味・無内容で無駄な工事である実態が明らかになってきた。北延伸計画に公共性はゼロだ。延伸阻止・暫定滑走路閉鎖を求めて闘おう。
(図 北延伸計画の破たん性を示す地図。@は「へ」の字誘導路、Aは東側誘導路、Bはクリーンパーク)
    *
 北延伸工事は25日から、国道51号線の付け替えトンネルに拡大された。しかし、空港会社自身や航空会社、マスコミなどから、北延伸計画の無意味さを指摘する発言、報道があいついでいる。
 まず空港会社の黒野匡彦社長自身が「南側への延伸が本音」(9月12日付毎日新聞)と語った。新聞各紙は「なお遠い完全空港化」(9・24東京新聞)、「青空見えぬ延伸」(9・17朝日新聞)という論調を展開、外国航空会社からは「この程度の増便に330億円も使うのか」(同上)という声がっている。
●「へ」の字誘導路は直らない
 なぜ北延伸は無意味なのか。以下解説する。
 まず現在でも暫定滑走路の運用を大幅に制限している「へ」の字誘導路の直線化が絶望的だ、ということである。
 暫定滑走路に航空機が離着陸している場合、「へ」の字誘導路部分があまりに滑走路に近接しているため航空機が入ることができず、手前の信号で待機することになっている。(地図@参照)
 北延伸でさらにジャンボ機など大型機が運航すると、この「へ」の字誘導路を通過すること自体が危険で、1時間当たりの滑走路使用効率が4000b滑走路の3割程度に落ちるのだ。
 誘導路を「へ」の字に曲げているのが市東孝雄さんの畑、天神峰現闘本部、北原事務局長の一坪共有地である。空港会社は現闘本部と一坪共有地を取り上げる不当な裁判を起こしているが、本来は訴訟自体が成り立たないほどの無法な裁判であることが明らかになっている。市東さんの畑の耕作権はく奪攻撃も、甚だしい農地法の逸脱である実態が明らかになっており、北延伸の開業予定「2009年」までに「への」字誘導路を直線にするなど絶対に不可能だ。 
●「東峰の森」伐採は許されない
 さらに新誘導路を阻む「東峰の森」の存在だ(地図A)
 現在の暫定滑走路は、駐機場と滑走路を結ぶ連絡誘導路が狭く、クランク状に折れ曲がっているためジャンボ機が通過できない。そこで北延伸計画では新たに東側誘導路を作る計画になっているが、東峰区が50年以上にわたって守り育ててきた「東峰の森」(約10ヘクタール)の3分の2を切り倒さないと誘導路を作れない。
 ところが、森は東峰区住民が入会林として生活の一部をなしてきた財産だ。空港会社は入会林であることを認め、1996年と2003年の2度にわたって正式に「地区住民との合意なしに森を伐採しない」と確約した。北延伸はこれらを無視して伐採を強行する計画だが、法的にも信義上も許されない。
 東峰区住民は8月3日と9月12日に公開質問状をつきつけ、「合意なくして伐採なし」とした確約の再確認を求めた。空港会社はこれを無視する姿勢なので、9月26日には東峰区住民全員の名において、東峰の森を保全する仮処分申請を千葉地裁に提出した。
 さらにこの「東側誘導路」は構造からいってもも無意味な計画であることが明らかだ。東側誘導路のルートに注目してほしい。滑走路の南側延長上の真下を2回も通過する構造になっている。2カ所ともに信号機が付けられ、離着陸の航空機がある場合には待機しなければならない。
 誘導路が滑走路の飛行直下を2回もくぐる空港は世界中を見渡しても成田暫定の北延伸滑走路だけだ。北延伸計画の破たんぶりは明らかと言うほかはない。











 農家潰し“南延伸”  NAA黒野社長の狙い

●ゴミ処分場の転用違法
 また成田クリーンパーク(一般廃棄物最終処分場)の違法転用の問題がある。
 暫定滑走路の北端からわずか50メートル地点に成田市の一般廃棄物最終処分場がある(地図B)。北延伸計画は、この処分場を廃止して空港の保安区域にする予定だが、最終処分場の廃止は法律によって、埋め立て後の排水や大気の浄化が証明されるまでできず、廃止さるまでは他への転用は禁止だ。
 クリーンパークのようなダイオキシンを大量に含む焼却灰(一般家庭ゴミ)では、排水や大気の浄化に5〜6年かかる。しかしこれでは2009年の北延伸開業に間に合わない。そこで空港会社と成田市は、法律違反を承知で廃棄物を埋め立て、空港用地に転用しようとしているのだ。
 市や空港会社がこのような違法をあえて押し通すことを許してはならない。反対同盟はダイオキシンを含むゴミの全量撤去を求めて闘っている。 ●短かすぎる滑走路
 さらに、「2500bでは短ぎる」という問題も浮上している。
 かりに「2500メートル」になっても燃料を満タンにする長距離便は飛べないため、この面からも便数が増えない実態が露呈してきた。需要が多いニューヨークやワシントンなどアメリカ東海岸にも飛べずロンドン等のヨーロッパ便にも使えない。
 しかも現在、成田暫定滑走路で運行している短距離アジア便は、09年に同時に開業する羽田空港の新滑走路に大半が移る。「ほとんど便数は増えない」どころか、成田の暫定滑走路は存在する意味もなくなる可能性が出てきたのだ。およそ人の農地を違法に取り上げてまで強行しなければならない事業ではない。
 そして、ジャンボ機は時代遅れで消える運命にあることも明らかになった。「ジャンボ機が飛べないから北に伸ばして2500メートル化する」というのが空港会社の説明だったが、そのジャンボ機は間もなく成田空港から消えてなくなろうとしているのだ。
 成田空港発着の7割を占めていたジャンボ機はこの8年で3割まで減少したことが報道された。 世界最大のジャンボ機保有会社(29機保有)である日本航空も、向こう3年以内にジャンボ機を全廃する。不況下で大型機から中型機へのシフトが加速しているのだ。ジャンボ機はやがて成田空港から姿を消す。短距離便も羽田に移る。なぜ北延伸が必要なのか。
●「公共性」もなし 
 「北延伸」計画の狙いは何か。ただひとつ、反対農家をつぶすことだ。北延伸には空港の運用面からも「公共性」のかけらもない。それで市東孝雄さんの農地を違法な手段で取り上げるとは言語道断だ。
 農家上空40bにジェット機を飛ばしている暫定滑走路の現実は国家犯罪だ。暫定滑走路を閉鎖に追い込むまで闘おう。
(写真 暫定滑走路の運航を制限している「へ」の字誘導路。北延伸しても直線化はできない)


10月Aへ 10月Cへ
2006年 「街」日誌へ トップの頁に戻る









inserted by FC2 system