「行軍」前に緊迫感/生活脅かす「兵器大移送」
米軍の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)のミサイル装備品の米軍嘉手納基地搬送を目前に控えた三十日、出発準備が進む那覇軍港は市民団体などの抗議の声が上がり、緊迫した雰囲気に包まれた。迷彩色の軍用車両約五百台が数日に分けて国道を嘉手納へ大移動する。「ベトナム戦争当時みたいだ」と四十年ほど前の占領の時代と重ねる平和運動家もいる。空前の規模の大移動に、国道58号沿いの住民も不安の色をのぞかせた。
「パトリオット配備は県民の意思を無視した暴挙。物資はすぐにアメリカ本国に持ち帰れ」
同日午後、PAC3関連装備などの陸揚げ作業が続く那覇軍港内にシュプレヒコールが響いた。自治労県本部(比嘉勝太執行委員長)がゲート前で開いた緊急抗議集会には組合員約七十人が集結、こぶしを突き上げた。
一行は、同日市内で開いた定期総会の会場から駆け付けた。
総会では「パトリオット・ミサイルの配備の即時中止を求める大会決議」を採択。「PAC3の配備により、朝鮮半島や北東アジアで軍事的緊張が高まるのは間違いなく、沖縄全体が巻き込まれていく」などと日米両政府を批判する内容だ。
比嘉委員長は「PAC3配備は、明らかに基地強化につながる」と痛烈に批判。夜間の公道移動にも「復帰前の軍用一号線と何も変わっていない。米軍はいつまで我が物顔で沖縄に居座るのか」と憤った。
搬送ルートに当たる国道58号沿いで暮らす人々は、不安を募らせた。宜野湾市内のガソリンスタンドで働く宮里博之さん(37)は「うちは24時間営業なので、夜中車列が通るのは怖い。危険物を扱っているので、夜勤者には注意を呼び掛けている」と心配そうに話した。
主に那覇市内で営業するタクシー運転手の男性(56)は「事故が起こったりしないか心配。夜中米軍車両を見掛けることはあるけど、今回は規模が大きい。家にこもっているわけにもいかないしな」と困惑顔で語った。
翁長市長「理解なき配備は遺憾」
翁長雄志那覇市長は那覇軍港にPAC3関連装備品が陸揚げされた三十日、「(PAC3は)日本の安全保障上、必要な場合もあるかもしれないが、周辺自治体の理解がないまま、配備されることは誠に遺憾だ」と述べた。
同市長に、那覇防衛施設局の佐藤勉局長から陸揚げの通告があったのは二十九日午後。「火薬などは入っていないので心配ない。安全面に最大限に配慮する」との説明があり、了承したという。
翁長市長は「なぜ、嘉手納に配備するのか、なぜ今か、ということなど説明を尽くさないといけない」と、国に注文をつけた。
嘉手納基地 通常の態勢
【中部】米軍嘉手納基地では三十日午後八時現在、警戒レベルは五段階のうち下から二番目の「アルファ」を表示しており、PAC3配備を前にした特別な動きは見られなかった。普天間飛行場やキャンプ瑞慶覧なども同様だった。
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占領下の記憶 再び/「軍用1号線に戻すのか」 時代に逆行 募る危機感/嘆く関係者ら
「国道58号が軍用1号線(米軍管理道路)の時代に戻ってしまう」。元沖縄平和運動センター議長で社民党県連委員長も務めた新垣善春さん(76)は、地対空誘導弾パトリオット(PAC3)関連資材の搬入ルートを知って、まずそんなふうに思った。
資材が運ばれる国道58号は、米軍統治下に設けられた軍管理道路1号線として誕生した。「ベトナム戦争の真っ最中、いかめしい戦車が何十台と通った。米軍占領の象徴のような光景だった」。ただ、そんな時代にも、五百台もの大移送には出会ったことはないという。「戦時体制そのものの光景を二十一世紀に見ることになるとは」と嘆く。
一九六〇年代には1号線に座り込み、那覇軍港に向かう米軍の車列を迂回させたこともあるという。
「今回の仰々しい搬送には、国民を有事に慣れさせようという日本政府の意図も感じる。きな臭い世の中が迫っている」と危機感を募らせた。
県祖国復帰協議会最後の事務局長を務めた仲宗根悟さん(79)は「復帰後も、米軍は県民にまったく聞く耳をもたず、『占領軍』の振る舞いをなお続けている」と断じる。「平和憲法の下に復帰しようという私たちの願いは無残に踏みにじられたままだ。PAC3の配備でまたそれを思い知らされた」と悔しさをにじませた。
抗議決議視野に協議/嘉手納・北谷両町議会
【中部】米軍のPAC3の配備問題で、米軍嘉手納基を地抱える嘉手納町と北谷町の両議会は抗議決議を含めた対応を検討している。嘉手納町議会(伊礼政吉議長)は二日、基地対策特別委員会を開き、臨時会の開催も含め今後の対応を協議する。
田仲康榮委員長は、「六月に配備反対を決議したが、町民の意向は米軍によって無視されている。配備は基地機能の強化であり、撤去を求めるためにも臨時会を開催したい」と話した。
また、北谷町議会(宮里友常議長)の照屋正治基地対策特別委員長は「二日にも委員らと話し合い、今後の対応を検討する」と話した。
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