日  誌
辺野古 阻止行動カンパ
カンパ報告の頁へ 
 上記、カンパはすでに「命を守る会」に手渡し致しました。
今後、順次、カンパをいただいた団体名、また個人についてはイニシャルで報告していこうと思っています。ありがとうございました。m(__)m

辺野古と共に!国会前座り込み
 国会座り込みの様子を毎日更新!!

ニュースバックナンバーの動画の保存期間について

QABステーションQ、及びほかニュースのバックナンバー動画の保存期間について、今後は基本的に1週間以内と変更する事となりました。ご理解ご協力の程をよろしくお願い致します。


プロテスト
バンド
 
ヨッシー&ジュゴンの家
スケジュール
1月21日(土)  館野公一ライブ 午後7時〜 1.000円
2006年1月@
12月Jへ 1月Aへ

12月27日(火)

1月4日(水)
「街」、年末・年始休み
 闘    春
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1月4日(水)
昼食は普通に戻って、焼きホッケ、昆布の煮物、納豆など
夕食は、チューやん差し入れの
ドイツ・ビール

沿岸案を再度拒否 知事が年頭あいさつ 琉球新報(1/4 14:16)
 稲嶺恵一知事は4日午前、新年に当たり県庁の庁内放送であいさつし、普天間飛行場の移設先として日米両政府が合意したキャンプ・シュワブ沿岸案について「これまでの経緯等を踏まえれば、容認することはできない」と述べ、あらためて拒否する姿勢を示した。

 その上で「普天間飛行場の危険性の除去と早期返還を実現することが、県民の目に見える形の基地負担軽減につながる最も重要なことであると考えている」と述べ、今年3月をめどとする米軍再編最終報告に向け、普天間飛行場県外移設の道筋をつけることに全力を尽くす考えを強調した。

 また、行財政改革を進めるとともに、雇用対策を含め産業振興に力を注ぎ「民間主導の自立型経済の構築を図っていきたい」と述べた。

 10月に開かれる「第4回世界のウチナーンチュ大会」については「ウチナーンチュのアイデンティティーの次世代への継承に努めたい」と述べた。
辺野古の速報は  ちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古で座り込み中!
1月4日

Re:Re:あけましておめでとう!

あ、それは「へんのこ」じゃなくて「へのこ」なんだよ。読み方わからないのは誰でも最初はそうだと思うよ。とりあえず辺野古沖案ってのは消えたんだけど、新しく沿岸案ってのが発表されてヤバいなぁって感じなのさ。ほんといい加減にしろよ税金で基地つくって消費税上げて人権侵害して何考えてんだよ!って気持ちで最近つくづく政府は国民の生活を無視してるなって思うよ。こっちはそんなに寒くはないよ。そっちは雪すごそうだね。風邪ひかないように気を付けてね。餅食べ過ぎないようにね。じゃあ今年もよろしくね!(※架空のメールです)
  
Posted by kitihantai555 at 15:35TrackBack(0)

1月3日(火)
トロ豚チャーシュー 貝の和え物
ヤツガシラ・与論島のインゲンの煮物

則子さんがチヂミを作ります
エビ・マヨ 4色シューマイ

1月2日(月)
寝正月。寝るユッ君 グレープフルーツを剥くイギー 夕食はカレー
サラダ 炒めた野菜
← グレープフルーツ・サラダ
新年明けましておめでとうございます。
 昨日、関西トランスポート分会の元旦、加古川局門前闘争に行ってきました。その報告文を添付しております。今年の初日の出は加古川で迎えました。朝5時起きでしたが美しいものでした。
 
今年もめいっぱいがんばっていきましょう。闘いに次ぐ闘いの2005年でしたが、今年は勝利の展望を開く年にしたいところです。今年もよろしくお願いします。
 
高見元博
勝利の一穴こじ開け迎えた新年  関西トランスポート分会の元旦闘争
人事交流=強制配転に反対する近畿郵政労働者の会  2006年1月1日
 2006年の巻頭にあたり、関西合同労組・関西トランスポート分会の元旦加古川局門前闘争が闘われました。通用門前には早朝7時から各地よりかけつけた関西合同労組組合員や全逓関係者約30人と、元旦ビラまきを行なう全逓加古川分会組合員10人以上とが合流。総勢40名以上が陣取るなかで、抗議闘争が行なわれました。「解雇撤回・職場に戻せ」と大書きにした横断幕が目を引きます。加古川局管理者6人が門の内側で組合員やゆうメイトを監視していました。

 加古川局当局は、首切りのあまりの不当性を前に、分会員・ゆうメイトからも怒りの声が上がるのを恐れ、「元旦出発式」自体をなんと中止してしまったのです。出発式などないほうがよいには違いないのですが、当局が恐れていることが、なによりも闘いが分会員・ゆうメイトに広がることだという証拠です。当局の監視・弾圧体制にもかかわらず、加古川局の仲間は窓に鈴なりになり、声が聞こえるよう寒いなか窓を開け放したりして私たちと合流しました。当局が干渉する中でも、ゆうメイト達は私たちの声かけに応えながら配達に出発しました。

門前では各地から参加したさまざまな闘う団体が次々と決意表明し、加古川局当局、公社近畿支社、関西トランスポート会社に対して怒りをたたきつけました。反対する会のメンバーである芦屋郵便局被免職者の高見も発言しました。最後に当該の組合員二人が怒りの声を上げました。

当該分会からの発言
 辻本分会長の発言です。「二波のストライキを闘い、裁判闘争、労働委員会闘争を闘っている。皆さんの支援とりわけ全逓加古川分会員の支援があって闘ってこられた。ありがとうございます。不当解雇に対し11月11日神戸地裁で仮処分の決定が出た。決定で、6月30日の解雇は分会を結成したことを嫌悪して不当にも解雇した不当解雇であり、いわば不当労働行為であることが明らかとなった。にもかかわらず加古川郵便局、関西トランスポートは団体交渉を拒否し、訴えも聞こうとしない。解雇された全員がこの年末をどういう思いで乗り越えてきたか考えたことがあるのか。

 神戸地裁決定は郵政民営化、非正規雇用化、戦争へとつないでいく小泉=奥田の攻撃に少なくとも風穴を開けた。決定を受け不当解雇を撤回させ、非正規雇用化、戦争、郵政民営化を打ち破っていきましょう。民営化とは選別再雇用であり非正規雇用化です。非正規雇用と言っても、ゆうメイトと本務者の間に壁はない。労働者が一体となって団結して、郵政民営化と非正規雇用化を押し止めて戦争を止めようではありませんか。」 

さらに当該組合員から「去年より闘いの輪を広げて、分会長を支えながらがんばって行きたいと思います」と決意にこもった発言を受けました。

民営化に対する確かな反撃
 郵政民営化攻撃に対する確かな反撃として、11・11神戸地裁決定は歓呼の声で迎えるべき大勝利です。決定は明確に不当解雇と言っています。この地平を労働委員会闘争にも反映させていけば、最後的勝利は可能です。「偽装請負」に対する画期的決定です。また、郵政民営化攻撃とは、いま起きているアクションプランU大合理化などの労働条件切り下げです。本務者の削減と非正規雇用者の増員こそが民営化攻撃の具体的中身です。大合理化で高齢や弱い立場の本務者には働けない職場にして辞めさせ、少数の非正規雇用の労働者に置き換える攻撃です。公社の中では本務者7万人削減と言われているとも聞きます。

 関西トランスポート分会の闘いは、直接に争そわれている4人の組合員だけの問題ではありません。組合結成が関西トランスポートの加古川の組合員だけではなく、果てしなく広がる現実性があったからこそ、郵政公社は公社を挙げた攻撃として全員解雇を強行したのです。当面の闘いは解雇撤回闘争に焦点化されたのです。だからこの解雇撤回闘争に勝利することは、郵政で働くすべての非正規雇用労働者、「偽装請負」の労働者に労働組合の団結を広げ、郵政民営化を完全に粉砕することに確実につながるのです。

 その具体的展望を持って、解雇撤回闘争に勝利しよう。神戸地裁決定から労働委員会闘争の勝利を切り開こう。反対する会は全力で支援しよう。

神戸地裁決定 2005年11月11日
「本件解雇告知は解雇通告となる」
「本件解雇告知は、債権者辻本ら債務者(関西トランスポートのこと)の配達員の大多数が組合の組合員となり、分会を結成したことを嫌悪して、加古川郵便局との委託契約を解消し、これを表向きの理由として、債権者らとの解約したものと推認するのが相当である。

そうだとすると、本件解約告知には客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当とは認められない。したがって、濫用(らんよう)として無効というべきである。」
東京新聞の記事
私の写真を3枚使ったA3ほどの紙面で、これほど大きいと思っていなかったので驚きました。

裁判所のひどさについて具体的な例を書こうとしましたが、かないませんでした。

それでも記者の方は良くここまで主張させてくれたと感謝します。

沖電気の談合、それを無視し、市民運動に敵対する警察、その味方をする裁判所を指摘批判していますが。
今のところ特に反応はありません。
ネットのページです。http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060101/mng_____tokuho__000.shtml
異端の肖像2006 「怒り」なき時代に<1>
シンガーソングファイター 田中哲朗(57)
「日本人は怒らなくなった」といわれて久しい。企業の不祥事や理不尽なリストラ。国や自治体がもくろむ増税などに、どれくらいの人々が怒っているだろうか。だが、耳をそばだてると、怒りに震える声が聞こえる。それは孤独だったり、内に秘めたり、持ち続けていたり。中には悲しみを超えた重い怒りもある。2006年最初の異端シリーズは、さまざまな「怒り」の形をお届けする。

  朝八時、東京都八王子市の沖電気八王子事業所の正門前に、ギターを手にした中年男性が現れた。

 ♪出勤の人波は目をそらしながら門の中へと流れ込む
   指先に穴を開けた軍手でギターを抱えて叫ぶ
   生きてくれ生きてくれ人間として
   見えているものから目をそむけないで   (曲名『日差し』)

 立ち止まって聞いてくれる人はいない。それでもギターの主、田中哲朗(57)は訴え続けている。24年前から。

 1981年6月29日、勤務先の沖電気から解雇された。職場復帰を求め門前の抗議行動を始めたのは翌日。人呼んで「シンガーソングファイター」の誕生だ。

 エンジニアとして八王子事業所で働いていた田中の運命を一変させたのは、七八年に同社が実施した1350人の大量解雇だった。撤回を求める労働組合が会社側の切り崩しの前に急速に力を失う中、被解雇者を支援する社員は次第に孤立させられていく。田中はその渦中にいた。

 翌年初め、職場で始業時間前のラジオ体操が始まる。「体操に参加することで職場が会社に協力していることを示そう」と言う上司の言葉から、それが“踏み絵”であることは明らかだった。フロアに二百人くらいいた社員の中で不参加は田中だけ。「一人ポツンと席に座っていたので、正直な話、最初はドキドキした」と明かす。だが「意志を貫き通したことで自信にもなった」。

 そのころからエンジニアとしての仕事から外され、任されるのは補助的仕事ばかりになっていく。

 大人げない、いじめも多くの職場で始まった。

 ♪私はマンドリンクラブのリーダーだった
   みんなで楽しく合奏していたのに 
   課長から言われたとまた一人メンバーがやめていく   (曲名『いじめ』)

 曲中の「私」とは田中自身のことだ。

 解雇争議の当初は約二千人の従業員のほとんどがビラを受け取った。それが半年の間にひとケタ台に激減した。

 「これだけ大量の人間が、これだけ短期間に、これだけ急激に変わってしまうのか。これと同じ事が社会のレベルで起きたらどうなるのかとがくぜんとした。それが活動の原点にある」

 80年6月、労組役員選挙に立候補して会社の姿勢を徹底的に批判した。「ここで立候補したら、ただでは済まされないことは分かっていた。しかし逃げ出せば一生後悔すると思った」

 81年6月、畑違いの営業職への配転という“最後通告”を突きつけられ拒否。予想通り解雇された。

 妻と子供たちをどう養うかはしっかり考えた。マンションを買ってまだ2年ほどしかたっておらず、多額のローンを抱えていた。子供は4歳、2歳とまだ小さかった。

 「家族の幸せも守れずに、何が社会正義だという思いがあった」。当時手元にあった40万円の貯金を減らすようなことになったら、マンションを手放す覚悟を決め、トラック運転手になることも考えた。

 解雇5カ月後に開いたギター教室には、少しずつだが生徒が集まってきた。保育士の妻かほる(51)にも定収入があった。

 あるとき、かほるは幼い息子から「お父さんは何をやっているの?」と聞かれた。沖電気の前に立つ父の姿を見せ、「会社の怪獣と戦っているのよ」と教えたという。

 「若気の至りだったかもしれないが、会社をクビになってでも戦うという夫に、『もっと頑張ってほしい』という気持ちをもっていた。彼の選択が間違いだと思ったことはない」と妻は言い切る。

 地方に出掛けるなど物理的に不可能な場合を除き、門前の抗議行動は24年間皆勤だ。週末と祝日は自由な時間に来て、祈りをささげる。「世界が平和であるように。私の解雇後死亡した歴代の社長に『あの世から職場の差別やいじめをやめさせてほしい』」と。

 「解雇20年特別座り込み」と銘打った01年6月には、当時自民党政務調査会長だった亀井静香衆院議員も座り込みに参加した。

 ギターを弾き、厳しい抗議の演説や呼びかけを行うが、沖電気の社員から罵声(ばせい)を浴びせられたことなどは皆無だという。

 「私は会社の理不尽な人権侵害に対する怒りから抗議行動をしてきた。しかし会社のだれかを憎んでいるわけではない。それが理解されているのだと思う。理不尽への怒りは人々の苦しみを変えようとし、そうなれば自分も幸せになりうる。憎しみに基づく行動は一時的には力を持つが、やがて自分をも破滅させる。怒りと憎しみは別のものだ」

 労働運動に詳しいルポライターの鎌田慧は、「田中さんは大量解雇が行われた当時はまだ頭角を現してはおらず、その後、会社の労務政策を批判し続けた『遅れてきた青年』。同僚に対する差別に義憤を感じて運動を始め、現代のサラリーマン像を描き出した歌を武器に訴え続けるスタイルは、新しい労働運動の文化をつくった」と話す。

 田中自身が沖電気を相手取って解雇撤回を求めた訴訟は、すでに95年に最高裁で敗訴が確定している。このほか株主として出席している沖電気の株主総会で強制排除されたことをめぐり、会社と警察を相手に損害賠償を求めるなど数件の訴訟を起こしているがこれまでに勝訴は一件もない。「誇り高き敗訴記録」(本人の弁)を更新しながら、なぜ裁判を続けるのか。

 「今の裁判所は、権力や企業に偏った姿勢をとっている。裁判で私の主張がどのように退けられたかを、記録として後世にのこしておきたい。将来その記録がきっと裁判所をよくするのに役立つ」

 沖電気は03年、大分県湯布院町(現由布市)発注の公共事業に絡み、町長らにわいろを贈ったとして社員二人が逮捕されたが、田中は二千ページに及ぶ事件の供述調書を入手し、沖電気をはじめ大手通信機器メーカー数社が談合を行っていた事実を把握。04年9月、警視庁に告発状を提出したが、「時効が成立している」と受理されなかった。「警察が企業と癒着し、その裏返しとして労働運動、市民運動に敵対している。マスコミにも資料を送ったが反応がない」と憤る。

 門前の抗議行動は毎朝30分間。この時期、早朝は氷点下近くにまで冷え込む。ポケットには三つの使い捨てカイロをしのばせ、歌と歌の合間にかじかんだ指先を押し当てる。

 沖電気は否定するが「指名解雇争議・和解交渉の過程で、会社側は和解金で解決しようとしたこともある」と田中は言う。しかしこれだけは受け入れないと最初から決めていた。

 「金銭ではなく、職場に戻るという形で会社に非を認めさせるのが私の役割だ。体力が続く限りここに来る」

 敗訴が確定した今も、その決意は揺らいでいない。

  (敬称略、浅井正智)

 ◆たなか・てつろう 1948年福岡県生まれ。69年沖電気入社。被解雇者の支援をする中で、会社から賃金差別や嫌がらせを受け、81年営業職への配転を拒否したため解雇された。現在、ギター教室を開くほか各地でライブ活動を行う。2005年12月多田謡子反権力人権賞受賞。ホームページのアドレスはhttp://www.okidentt.com/


1月1日(日)
昼はおせち料理を食べます
飯田さんから日本酒の差し入れ 与論島から黒糖焼酎・インゲン
ユッ訓が沖縄から戻ってきました 夕食は富田さん作のローストビーフ 則子さん新作の栗キントン
タクミ・シエフ登場
命を守る会より、全国の皆様へ。
 私どもの闘いも1996年から2006年で10年目を迎えようとしています。

 沖縄への「琉球処分」とも言うべき「SACO合意」は1996年に「北部東海岸基地建設案」を示しました。

 95年の少女暴行事件によって引き起こされた8万5千人の決起は沖縄の歴史からの怒りの叫びでした。

 97年には辺野古の闘いの第一ステージである「名護市民投票」が行なわれ、名護市民は「基地建設NO」の民意を示しました。

 政府からのあらゆる圧力の下で行なわれた市民投票はその政府の思惑を破綻させ、勝ち取られました。それは県民の「基地撤去」の圧倒的な支持による勝利でした。
 しかし、政府は沖縄の総意である「基地撤去」の声を無視し、踏みつけてまいりました。

 2003年から開始された政府による「ボーリング調査(実質基地建設)」の強行は沖縄の「基地撤去」「反戦」という圧倒的な力を踏み潰そうとする策動でした。

 しかし、私達、命を守る会は真実の声と人々の支持を信じ、一歩も引くことなく、堂々と政府と対峙し、毅然と座り込みを続け、実力闘争へと突き進んでまいりました。

 2004年4月19日からは総力を上げて阻止行動座り込みを行なってまいりました。

 70代、80代のおばぁ、おじぃを中心とした命を守る会はその重い足腰を多くの人々による心の杖によって支えられてきました。

 灼熱の太陽、台風、海風による寒さも多くの支援と支持の声に支えられ、乗り越えてきたと考えております。

 2004年9月9日の海上作業強行に対する海上阻止行動においても代表、事務局長、事務員命を守る会の総力で海上での行動に参加してまいりました。

 1年間という長い激烈な政府との闘いは阻止行動座り込み6万人、海上阻止行動6千人という県内、県外の皆様による物心両面での支援、支持によって海上に一本の杭も打たせないという状況を生み出しました。

 2005年9月2日に海上のボーリングヤグラを撤去させ、10月には「リーフ上基地建設案白紙」という勝利を勝ち取りました。

 「SACO合意は動かない」とした日米政府の思惑を破綻させ、追い込んでいます。それは全国の物心両面の支援があって実現したことであると受け止め、心から御礼申し上げます。

 しかし、一喜一憂出来ない事態があることをお知らせしなければなりません。
 政府は「リーフ上基地建設案」が破綻すると今度は日米審議官協議(2プラス2)の「中間報告」の中で「北部への基地の集中化」「沿岸案」なるものを打ち出してきました。

 沖縄を軽視し、踏みにじる行為に県民の怒りは爆発し、05年10月30日に1万人を越える県民大会を開催しました。

 それを注視し、恐れをなした日本政府は「海上特措法」を制定することを示唆しています。
 沖縄の空は、陸はすでに軍事が優先され、権限は奪われています。さらに海までも米軍基地に差し出されようとしています。これこそ、沖縄への究極の差別です。

 「もう黙っていられない」「ここまで県民を無視した行為は許されない」「基地建設は絶対に阻止する」という怒りが沖縄中から聞かれる中、「10万人県民大会を!!」「ゼネストを!!」と声高々に叫ばれるようになっています。

 来年は基地建設を阻止するさらに激しい闘いへと入っていくことが予想されます。
 私達、命を守る会は弱者を虐げ、全国の沖縄化を進め、戦争に突き進む政府を絶対に許さず、全ての生命が輝く未来、未来永劫の平和を勝ち取るために基地建設が止まるその日まで前進していきます。

 全国の皆様、2005年度の一年間に渡る物心両面に渡る御支援、ご指導ありがとうございました。
 お礼状を送るなどの作業が出来ず、大変ご迷惑をおかけしたことをこの場を借りてお詫び致します。
 2006年度のこれからの闘いにおいての御支援、ご指導のほどよろしくお願い致します。

 略儀ながら御礼とさせていただきます。

辺野古の速報は  ちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古で座り込み中!
12月31日
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大阪駅前で『辺野古アクション』

署名集めやカンパ集め、チラシ配りやマイクアピール。30人近くの人たちが集まってアピールしました。通りかがった若者も熱心に耳を傾けてくれました。
そして『辺野古アクション』大阪駅前でも大好評です!(^O^)  
Posted by kitihantai555 at 23:59TrackBack(0)
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☆第73回大阪行動!

今日は土曜日。「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」です。
大阪駅前で辺野古の基地建設問題を多くの人たちに知ってもらうためのアピール行動です!
寒い寒い冬空の下ですが、力いっぱいがんばりました(^^)  
Posted by kitihantai555 at 23:58TrackBack(0)

辺野古から那覇へ

 毎週 金曜日 18時〜20時 県庁パレットくもじ前 交差点 お気軽に参加ください。できればメッセージボードとかもってきてね

2006年01月01日 年越しを終えて

 大晦日から元旦にかけての年越しが終わりました。
 改めて新年、明けましておめでとうございます。昨日からの大雨がやみ、本日の夕方は太陽がでてとても暖かく良い天気です。

 大晦日は「平和の火」を点火し、浜で焚き木をしながら朝日を見ようということで22時くらいから点火作業に取りかかったのですが朝からの大雨で薪の運び出しなど中止を考えていたのですが夕方に少し曇ったときを見計らい決行を決めました。

 原始的なやり方で火を起こすというのは誰もが初めてで、始めは一人の人が板と棒を擦り合わせるやり方から、弓形にして、それでも駄目なので、2人で棒に絡めた糸を引き合い、棒の上を押さえつけたりしなどいろいろな方法を試しながらしていましたが、なかなかうまくいきませんでした。
 0時の日付を超えてもできず諦めようと何度も考えたりもしましたが横で作業を見守る「命を守る会」の方、引退された牧師夫妻、報道の方など、みんな今諦めたら年が明けないのではなどと想いをめぐらしながら、アイデアを出し続け2時過ぎに点火することができました。この時は本当に嬉しかったです。

 みんなで点火した火をランプに移し、牧師さん、命を守る会の方のお話がありました。「今回の火の点火は辺野古の闘いのようでした。何度も何度も諦めかけながらもみんなで協力しあい、アイデアを出し合い、目標を達成する。平和を作り出すことは今回の作業のように簡単ではありません。でも、できるのです。今年も諦めずがんばりましょう。」だったような感じでした。

 この後、瀬嵩の浜で焚き木をして四時過ぎに解散したのですが雨の中で燃える炎はとてもきれいでした。本当は天気が良ければ船で平島へ松明(たいまつ)で持って行き浜から見ようという案でしたが天候不良のためできませんでした。でも火をつけることができた、これだけでみんな疲れきってしまったかもしれません。

 今日のことは本当に自分達、若者だけでは諦めていた作業です。でも後ろで見守る先輩の方々がいて、信頼でき一緒に作業する仲間がいて、1つの点火することができました。日本の状況は平和から遠ざかっていくように感じます。今の状況では何もしなければ平和は生まれないと思うのです。火をつけることができた瞬間と同じように人生の先輩の方々が後ろで見守ってくれながら自分達が現状の辺野古・沖縄・日本・韓国・米国など世界中の方と、「軍隊に頼らない平和を追求する」2006年にしたいと思っています。
Posted by henokonaha at 17:28Comments(0)TrackBack(0)

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11月11日 韓国 ピョンテク(平澤市)、  をクリック
11月12日 韓国 前夜祭  をクリック
11月13日 韓国 民主労総大会 をクリック
    「街」のヨッシーと、「ジュゴンの家」のサオリちゃんが、
       韓国・ピョンテクに行ってきました!!
           大特集!!
  「ジュゴンの家」のホームページから転載なので、「街」に戻る時は、「戻る」をクリックしてください
12/9   ロウソク集会!!
12/10  ピョンテク駅でのロウソク集会!!
12/11  ピョンテクの街を平和大行進!!
12/12  南大門に行ってきました!









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